石川県能登半島の千里浜海岸は、全長約8キロに亘って砂波打ち際を車で走行できる。2019年にADRIAで走行したことがあり、日没の時間帯であったので、海に沈む夕日を波打ち際で観ることができて感動した記憶がある。
日本にもう一か所、砂浜を走ることができると言われている海岸がある。道道123号別海厚岸線に沿った全長約5kmの「なぎさのドライブウェイ 」だ。後から知ったのだが、ここは道が管理する海岸で、立ち入るのには許可が必要だとのこと。従って今回の一件については、ブログに書くかどうか迷ったが、注意喚起と反省の意味で、まとめておくことにした。決して走行を推奨するものでは無い。
15時に「納沙布岬」を出て、「霧多布温泉ゆうゆ」で風呂に入ろうということで浜中町へと向かっていた。もうあと数キロで着くという辺りで、ふと「なぎさのドライブウェイ 」の事を思い出した。走行した記録を多くの動画やブログで観ていたからだ。2WDのレンタカーで走っている映像もあった。
ADRIA(FFで重量3.5t)で走行できるかと不安はあったが、走ってみたいという冒険心が勝って、「なぎさのドライブウェイ (北側出入口)」から入って行くことにした。
道道123号線から海岸線への道はこの様な感じで、両側に昆布干し作業場があった。
このようなスロープで堤防を越える。
堤防の上からは浜中湾が見渡せて、右には平らな湯沸岬が見えた。
一旦止まって、砂の状態を確認した。後から思えば、大丈夫だと思ったこの判断がいけなかった。
しばらくは順調に走っていると思われた。砂浜には少なくとも4台の轍が残っているのが分った。
「なぎさのドライブウェイ (北側出入口)」から数百メートル南のところに「浜中町榊町西海岸トーチカ」という太平洋戦争の遺跡がある。
その「浜中町榊町西海岸トーチカ」が見えてきた。この辺りからハンドル操作がおかしくなってきた。
と思ったところが、遅かった。「浜中町榊町西海岸トーチカ」から少し進んだところで、ADRIAの駆動輪である前輪が空転して動けなくなってしまった。
スコップが積んであったので、タイヤ前後の砂を書き出し、車体の傾きを修正する時に使うレベラーをタイヤの下に敷いて、脱出を試みたが、砂が掘れるばかりで抜け出る事が出来ない。満ち潮が心配だったので、波打ち際の位置の変化をはっきりわかるようにするため、棒切れを拾ってきて波打ち際の位置に突き刺した。時刻は17時30分。この時はまだ波打ち際までの距離が結構あった。
完全にスタックした。。。
気が動転していたので、まず110番した。当然のことだが、対応できないとのこと。こういう時は保険会社が頼りだ。専用ダイヤルに連絡すれば、トラブル解消をサポートしてくれる。電話をして状況を伝えた。しばらく待つと、以下の連絡があった。
『この様な場合には保険対応では無いが良いか?100km圏内で業者を探しているが、土曜日の晩なので対応できるところが見つからない。保険が効かない場合には、費用が驚くほど高くなるが、このまま業者を探し続けるか?』
『いずれにしても、このまま放っておくことも出来ないので、業者を探し続けて欲しい。』と回答した。
しばらくすると、対応してくれていた担当者の上司という人から電話があった。
『現在、対応してくれる業者を探しているが、なかなか見つからない。また、たとえ見つかって現場に行ったとしても、ダメでしたという事になることもある。』という事だった。
『それは、今晩、または週明けまで覚悟しろという事ですか?』と聞くと、『そういうことだ。』と言われた。
その連絡があって、色々考えた。幸いサブバッテリーとポータブル電源はほぼ満充電なので、照明だけなら2~3日はどうにかなりそうだ。ガソリンもほぼ満タンなので、エンジンを回して何日かはエアコンも動かせるだろう。食料も非常用のものやお土産に買ったものがあるので、何とかなりそうだ。清水タンクもほぼ満タンで、トイレもあるので、困らないだろう。等など。
完ソロの浜辺キャンプと思って過ごすかとも思った。開き直った気持ちになったので、ADRIAの写真をiPhoneで撮った。時刻は19時になっていて、真っ暗だった。浜中町の灯りが奇麗だった。満月の日であったのも多少助かった。
だが、心配なのは海岸線が近づいていることだった。明るかった頃に比べて明らかに波打ち際が近づいていた。目印に立てた棒切れは倒れて波をかぶっていた。仕方ないので、また新しい波打ち際に棒切れを立て直した。満潮時間が何時なのかが心配でならなった。妻がネットで調べると、この辺は20時が満潮時間だとの事だった。あと1時間は潮が満ちるが、そこで止まってくれるはずだ。ADRIAが海水に浸かってしまうと、廃車確定だ。サブバッテリーやエンジンも使えなくなってしまう。ADRIAに留まっていることさえできなくなる。
そんな不安の中で、何とか自力で脱出しようと、ADRIAの車体の下の砂を棒切れやスコップで掻き出す作業を続けた。
19時半に、再び保険会社の担当者さんから電話が入った。
『対応できそうな業者がひとつ見つかったが、救出できるかどうかわからない。砂浜の入口からどのくらいの距離のところにいるのか教えてほしい。ワイヤーで引っ張れる距離なのかを知りたい。』という内容だった。
業者が見つかったのは少し希望が見えたが、どの程度入口から走ってしまったのかとんと判断出来なかった。仕方ないので、歩幅で見当を付けることにした。懐中電灯を持って、浜に入った入口まで歩数を数えた。歩いて、10分以上掛かった。806歩だった。歩幅80cmとすれば、650m程度だろうか。その旨を保険会社に回答した。
しばらくすると、保険会社から再び電話があった。
『業者は現在釧路にいて、2台でそちらに向かっている。1台は1時間半程度で着くが、もう1台は少し遅くなりそうだ。業者の方から直接電話が掛かるので、相談して下さい。』とのことだった。
今晩中に誰かがここに来てくれるとのことなので、少しは安心した。しばらくすると、業者の方から電話が入った。
『保険会社から紹介されたG社のTですが、まず、水の方は大丈夫ですか?』と第一声水没の心配をされた。それほど危険なのかと恐怖感を新たにした。『釧路から向かっているので、あと2時間くらい掛かる。決して足元を見ている訳では無いが、XX万円程度掛かるが良いか?うちは現金払いしかやってないが良いか?』との事だった。
『そんな高額な現金は持ち歩いていないけれど、一緒にコンビニまで行ってくれるならATMから引き出してお支払いできる。』と答えると、その条件で了解してくれた。こんな土曜日の晩に、助けてやろうと思ってくれたことに、ただ感謝した。時刻は19時30分。
さて、波打ち際が近づいてくる恐怖の中で、コーヒーを淹れてひと休みする度胸はあいにく持ち合わせていない。G社のT社長に絶対出れませんよと絶望的な助言をもらっていたが、小さなスコップと棒切れでADRIAの車体の下の砂を掻き出す作業をひたすらに続けた。お百度参りの心境だった。何かしていないと落ち着かなかった。不安定な姿勢で腰は痛いわ、足が攣るわ、指の皮は剥けるわで満身創痍となった。妻はノエルとリオンを心配させぬようにいつも通りに夕食を作って食べさせた。ノエルとリオンはただならぬ雰囲気を感じてはいたが、ちゃんと夕飯を食べた。心配していた波打ち際は、満潮時間の20時を過ぎると確かに近づいてこなくなり、ADRIAまで数mのところで止まった。少なくとも今晩は水没を免れたようだ。
2時間程度が過ぎて21時30分くらいだったか、G社のT社長から『到着したがどこにいますか?』と電話が入った。聞けば「なぎさのドライブウェイ(南側出入口)」だとのこと。そこからは遠いと思ったので、北側出入口に回ってもらうことにした。しばらく待つと、再び連絡があり、『北側の出入口に着いたが、解からないので、ハザードを点けてくれませんか?まずは、状況の確認に行きます。』とのこと。急いでADRIAのハザードランプを点灯して、懐中電灯を振り回した。
またしばらく待っていると、G社のT社長が歩いてADRIAのところまで来てくれた。まずは、お詫びとお礼を申し上げた。G社は大型車のレッカーもやっていて、この日は大型トラックを牽引して釧路でひと仕事終わったところだったという。出入口からこんなに距離があったのではワイヤーで引っ張り出すことは出来ないと判断して、現在ユンボをこちらに運ばせているとの事だった。休んでいるレンタル会社をたたき起こして、ユンボとトラックをレンタルし、休み中の社員さん2人を出動させ、中標津から運ばせているとのこと。ユンボを乗せたトラックが着くまでには、後1時間以上掛かるそうだ。牽引に備えて、ADRIAのフロントバンパーに牽引用アイボルトを取り付ける等して、ユンボの到着を待った。G社のT社長は、数々の修羅場を経験されたベテランであったのが安心だった。
『一緒に頑張って、一緒に固い地面のところまで戻りましょう!』
という強い言葉に泣けた。
どのくらい待ったのか、既に記憶が無いが、しばらくしてユンボを乗せたトラックが着いたとの連絡があり、準備をする為に、G社のT社長は出入り口の方に戻った。
かなりの時間待っていると、やがて暗闇からカタカタと音を立てて、G社のT社長がユンボを操作して現れた。ユンボをトラックに乗せて運んでくれた社員さん2人はライトで照らして誘導してくれていた。社員さんにも、心からお詫びとお礼を申し上げた。
(イメージ写真)
まず、ユンボのブレードを使って、ADRIAの前方の砂をどけて、緩やかな傾斜を作った。ADRIAの架装部分は剛性が低いので、後ろ方向に引っ張ることは出来ないそうだ。そして、アームの先にワイヤーを繫いで、いよいよADRIAを前方に引いた。ADRIAが少し前方に動いた。ADRIAが自分で掘ってしまった穴を社員さんが急いでスコップで埋めた。やがてADRIAは平らな砂地へと戻ることが出来た。ただ、ここからが本番だとのこと。どのようにUターンさせるかが難しいとのことだ。水辺の方を使うか、堤防側の砂浜を使うか、迷われたようだが、結局水辺の砂浜を使ってUターンすることになった。ADRIAはエンジンを掛けた状態でニュートラルにして、ハンドル操作は緩やかにしてブレーキは使わずユンボについて行くように指示された。
ユンボは波打ち際スレスレを通った。ADRIAが90度向きを変えて、海の方向を向いたその瞬間、なんと、牽引用アイボルトがADRIAから抜けてしまった。もうダメかと思ったが、さすがベテランのG社のT社長、持って来させてあった牽引用フックをADRIAの車体下部に付けて牽引を続けた。ユンボのアームを少しずつ器用に動かしてADRIAを牽引してくれた。そしてついにADRIAはUターンすることができた。ここからはほぼ真っ直ぐ北側出入口に向かってゆっくりと牽引された。ハンドルを握ってジっとしていただけだが、生きた心地がしなかった。ユンボのキャタピラの下の砂を見ると、じんわりと水が滲み出しているのが分った。最後に堤防を登るのがまた難しいとのことだ。3.5tもあるADRIAを引き上げる為には、キャタピラの踏ん張りだけでは無理で、ブレードを地面に突き刺して踏ん張って引き上げるという高等テクニックを駆使された。
そしてついに、固い地面のところまで戻ることができた。
セコマにはATMは設置されていない。ATMのあるコンビニは36km離れた厚岸のセブンイレブンにまで行く必要があった。堤防を越えた道で、G社のT社長の車両を見た。イメージはこの様な感じだった。大型トラックも牽引できる特殊車両だ。この車の後に付いて厚岸まで向かう。
(イメージ写真)
幸いなことに心配していたブレーキ関係、ステアリング関係に不具合は無さそうだった。多少蛇行させてみたりはしたが、ハンドリング感覚は正常だった。国道44号線に出たところで、先を行くG社のT社長の車両が停車した。どうしたのかと思ったら、車両に付いている拡声器で、『洗っちゃいなよ。』と言う。よく見ると、そこはガソリンスタンドの洗車場所だった。知っていないと、こんな真っ暗な場所に洗車機があることは絶対に気付かない。助かった。車を思いやるG社のT社長の優しさに、再び泣けた。ボディ下部は勿論のこと、タイヤやボディ、屋根の上までしっかりと洗浄することが出来た。
厚岸までは小一時間かかった。時刻は既に午前1時を回っていた思う。セブンイレブンのATMで現金を引き出してお支払いを完了した。G社のT社長、社員さん2人には、改めてお礼を申し上げ、ここでお別れした。ここから中標津に帰るには更に1時間半はかかったと思う。助けていただいて、本当にありがとうございました。この後も北海道旅を続けられそうです。
保険会社のレスキュー対応部門の方にも感謝した。諦めずに、対応してくれる業者を探してくれて、本当に助かった。
精魂尽き果てたので、昨年立ち寄って勝手知ったる「道の駅厚岸」で車中泊することにした。「道の駅厚岸」に着いたのは、午前1時40分だった。
冒険が過ぎてしまったと反省した。今回の勉強代は、電話で話したXX万円にユンボ手配費用が追加されXX万円(ライカQ3が半分ほど買える金額)となった。保険会社経由の値段にしてくれたというが、妥当な値段ではないか、むしろ安くしておいてくれたのではないかと思う。何しろ、何の問題も無く、固い地面を走って止まって曲がることができ、何事も無かったように旅が続けられるというのはプライスレスだと思った。
やはり、砂浜はこれじゃないと。😅💦
出典:カーファクトリーターボーInstagram
はじめまして、水没寸前で大変だったですね。
自分もライトエースのバンコンですが河原の砂地でスタックしたことがあります。
JAFに救援要請しました。
以前JAFと保険会社のロードサービスの差の一つに砂地脱出の対応有無がありました。
自分の場合は普通に救援してもらえ会員でしたので無料でした。
会員でなくてもその場で入会すれば会員になれます。
キャブコンが会員対応になるかとか前提条件が分かりませんがご参考までに。
その時の状況。
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