今日は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された「崎津集落」を見学した後に、天草下島の西海岸をずっと上がって「道の駅イルカセンター」まで移動する。
昨晩「道の駅うしぶか」に着いた時には真っ暗で、周辺の様子がさっぱり分からなかったが、朝の散歩に出掛けて、ようやく道の駅やフェリー乗り場の様子を理解できた。「牛深ハイヤ大橋」は、向かいの「下須島」に繋がっているのではなく、弧を描いて元の島に戻って来るように掛かっていることが分かった。
向かいの「下須島」には橋の途中にある交差点で曲がって、螺旋状の道を下るようにして繋がっている。
道の駅の隣に、こんな雰囲気のある喫茶店があった。
ここでモーニングでもと一瞬思ったのだが、ADRIAに戻っていつもの朝食にした。
昨晩調理したノエルとリオンのご飯は、冷めたのを見計らって、シリコン製の容器に小分けした。これをアルミ皿に乗せて冷凍庫で冷凍する。
この作業を妻がしていると、食いしん坊のノエルがベッドの上から見ていて、よだれを垂らしていた。💦
私にもADRIAのゴミ箱を修理するという大仕事があった。九州旅前に「プラリペア」でせっかく修理したのに、前回と全く同じように体重を掛けてしまって、修正箇所を再び破損してしまった。
ゴミ箱の内側をガムテープで補修してごまかしていたのだが、中身が零れ落ちそうだったので早急に修理する必要があったのだ。
昨日本渡で「プラリペア」の代用品である重曹とアロンアルファを買ってきた。重曹はほんの少しあれば足りるのだが、清掃にも普通に使うので500gの大袋しか無かった。アロンアルファはシアノアクリレート系であることを確認して購入した。本当にこれで修理できるのだろうか?
「プラリペア」のように専用のニードルなど無いので、アロンアルファで仮止めしたところに、重曹をパラパラと振りかける方法で溶着してみたところ、何とかうまく固定することが出来た。重曹が粉っぽくなったところには、後からアロンアルファを足せば少しツヤが出ることも分かった。
ドアの穴に差し込んでみたが、強度は十分なようだった。
無事、修理完了! これで安心して旅が続けられる。
そんなこんなしていたら13時になってしまい、道の駅の2階にある「大衆食堂あおさ」で昼食を食べていくことにした。
窓側の席に案内された。「牛深ハイヤ大橋」と向かいの「下須島」が見える景色の良い席だったので、向かい合わずに並んで座った。
窓の左側を臨めば、九州本土と橋で繋がっている「長島」が見えた。思っていた以上に近い。この「長島」との間はフェリーで結ばれているので、次回はこのルートで天草に来るのも面白そうだ。
「海鮮天丼」を頼んだ。
妻は「大海老天丼」。💦
「道の駅うしぶか」を出発して、昨晩からずっと眺めていた「牛深ハイヤ大橋」を通ってみることにした。橋の途中にある信号を曲がり、ループ橋を下って「下須島」にも上陸してみた。
リオンは「ハイヤ大橋」からの眺めに興味津々だった。
14時半に「道の駅崎津」に着いた。この道の駅は、「天草市﨑津集落ガイダンスセンター」の役割もあって、大型観光バスはここに駐車するようで、ADRIAも楽々と駐車することが出来た。この道の駅は、地域の防災避難施設も兼ねているようだった。
ノエルとリオンも散歩を兼ねて一緒に連れて行くことにした。
「崎津集落」は、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された。この遺産は、禁教時代に密かに信仰を続けた潜伏キリシタンの文化を伝える貴重な財産となっている。この道の駅から「崎津教会」までは約750mで、歩いて行くことが出来る。
途中、リオンは写真撮影にもニコニコ顔で付き合ってくれた。
散歩がてら30分程歩くと「崎津集落」に着いた。
まずは「崎津教会」とは反対側の街を歩いてみた。
「紋付屋旅館跡地」という広場が整備されていた。
元々は旅館だった場所の跡地だった。
湾に面した作りになっていた。
玄関はこちらの海側にもあって、ここからも入れるような作りだったようだ。
情緒ある旅館だったに違いない。
なぜかノエルもニコニコ顔。
「紋付屋旅館跡地」前の路地から見た「崎津教会」。
「﨑津教会」は、1934年にフランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建されたもので、この場所は弾圧の象徴である絵踏みが行われた吉田庄屋役宅跡とのことだ。禁教時代に厳しい絵踏みが行われた場所に、現在の祭壇が配置されたと言われている。
重厚なゴシック様式で、交代で堂内を見せてもらったのだが、珍しい畳敷きになっていた。
費用面から前面は石造りであるが、後ろは木造となっているとのことだ。
帰り路で「杉ようかん」と言う崎津名産品を売っていたので、ひとつ購入させてもらった。
「﨑津諏訪神社」にも参拝した。この神社は1647年に創建されたと伝わる神社なのだが、禁教時代には潜伏キリシタンはこの神社の氏子となり、密かな信仰を守るために重要な役割を果たした場所だそうだ。
また30分ほど歩いてADRIAに戻り、16時半に「道の駅崎津」を出発した。
走り出してすぐのところに、「大江天主堂」があったので、少しだけ立ち寄らせてもらうことにした。
偶然に夕陽が教会と重なり、さらに神々しい感じだった。
国道389号線、別名「天草西海岸サンセットライン」を北上した。期せずしてサンセットの時間となった。
18時ちょうどに天草下島北側の「通詞島」にある「ユメール温泉」に着いた。
ところが、この通り『休館日』。😑
まっ。こんな夕陽が見れたのでヨシとする。
18時半に本日の目的地「道の駅イルカセンター」に到着。島原半島が本当に近い。
寝る前に日本茶を淹れて、崎津名産「杉ようかん」をいただいた。
餡子入りのお餅だった。杉の葉は香り付けと防腐剤効果だが、派手なピンクのラインは昔からの慣わしだそうだ。
【本日のまとめ】天草下島を南から北に63kmの移動。