田川に滞在して筑豊炭鉱の歴史を感じた一日 – 2025九州 犬連れキャンピングカー旅(6日目)

「道の駅おおとう桜街道」にのんびりと連泊して、筑豊地域のひとつである田川の炭鉱の歴史に触れることにした。

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8時に目を覚ますと、今朝もリオンが周囲の様子を監視していた。😅

道の駅の隣には「おおとう桜街道花公園」と呼ばれる公園があった。朝の散歩には打って付けだった。

朝っぱらから、二人とも良い子に記念撮影をさせてくれた。

朝食は昨日下関のシャトレーゼで買っておいたパンと甘いものだ。

明日からの旅をどうするか検討して、「奥八女焚火の森キャンプフィールド」の予約をした。風が気持ちが良かったのでADRIAでのんびりしていたら、リオンが外に出たがったので、ちょっとだけ散歩に出た。

駐車場の近くに緑があって環境が良い。

道の駅に買い物に行ったついでに、フードコートでたこ焼きを買ってきた。

道の駅で手に入らなかった食材があったので、近くの「yume」に買い物に来た。

昨日休館だった「田川市石炭・歴史博物館」に再びやって来た。ADRIAはうまいこと木陰に駐車することができた。

まずはノエルとリオンを連れて散歩することにした。

今日はじっくりと公園内の高台にも上がった。

高台の斜面にはつつじが植えられていて、ちょうど見頃となっていた。

「三井田川鉱業所」のシンボルだった「二本煙突」は下から見ると大迫力だ。

1時間くらい公園内を散歩してから、ノエルとリオンをADRIAに留守番させて、「田川市石炭・歴史博物館」を見学することにした。

博物館を入って直ぐの展示スペースに、旧「三井田川鉱業所」全体のジオラマがあった。

「二本煙突」と手前の「第一立坑櫓」が現存しているので、往時の姿が手に取るように分かった。非常に多くの施設が撤去され、現在は公園になっているのかと思うと、グッとくるものがある。

炭坑住宅を復元設置してあるエリアがあり、明治、大正、昭和の各時代で炭坑住宅がどのように変遷してきたのかが分かる。

まずは明治時代。

次に大正時代。

障子が付いたり、台所の土間が付くようになった。

そして昭和時代には二間になった。「網走監獄博物館」のようなマネキンが設置されていた。

居間ではオヤジさんが一杯やっていた。

オヤジさんは外から見えていたのだが、この奥さんには驚かされた。建物に入った途端にこのリアルさで台所にいたので、私も妻も「オッ!」と声を出してしまった。リアル過ぎる。「網走監獄博物館」で子供が泣いていたのを思い出した。

この田川はあの『月が~出た出た~』で有名な「炭坑節」発祥の地だそうだ。

こんな展示もあった。手掘り時代の採掘の様子。

少し機械化が進んだ様子。この他に、3D映像展示等もあり、非常に勉強になった。

そうこうするうちに少し早いが夕食の時間になってきたので、17時30分に「本家山賊鍋田川本店」にやってきた。田川の「山賊鍋」は田川市発祥のご当地鍋で、山の幸、海の幸、田の幸、畑の幸、野の幸の五つの幸をふんだんに盛り込んだボリューム満点の鍋だそうだ。

これが「山賊鍋」だ。ちなみに、これで一人前というから驚きだ。白菜で形作られているとはいえ、小瓶のビール程度の高さがある。

鶏のミンチの量もスゴイ量だ。

みそ味のスープがなみなみと入れられたデカい鉄鍋が出てきた。

具材を豪快に放り込む。

「地鶏のタタキ」も注文してみたがメニューの写真の倍くらいの盛りで出てきた。

大満足で店を出た頃にはちょうど夕焼けになっていた。

よく見ると、ADRIAには白い運転手が座っていた。

19時前には「道の駅おおとう桜街道」に戻り、今日も「さくら館」に浸かった。

綺麗なトイレがあり温泉が併設された道の駅があると、居心地が良すぎて、ついつい旅が進まなくなってしまう。💦

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