北海道には小学生の頃(約50年前)に家族旅行したことがある。亡父がまとめたアルバムの中から当時の旅行日程表と観光地図が出てきた。
日本交通公社主催の団体旅行だったようだ。国鉄の寝台車で青森まで行き、青函連絡船で津軽海峡を渡って函館に入り、帰りは千歳空港から帰って来るという8日間のツアーだった。この段階で既に、今の若い人には解説が必要だ。日本交通公社というのは現在のJTBであり、国鉄はJR。寝台車も定期運航は現在無くなってしまったようだ。しかも、青函連絡船は1988年に廃止されている。上野発の夜行列車だったので、泣けてくる。変わりに変わったものだとつくづく思う。
見つかった地図はこれ。パッと見た感じでは現在と変わらない。
左上の地図をよく見ると、こんなに国鉄の路線があったのかと驚くと同時に、高速道路がひとつも無いことにも驚いた。当時は鉄道が主体で、鉄道が無いところはバスで繫ぐという考えだったことがよく解かる。
「青函海底トンネル予定線」と点線で書かれていて、「青函連絡船」の航路が記載されている。
更に驚いたのは、積丹半島の西部には道路が無かった。黒い点線は登山道だと凡例にあった。断崖絶壁で工事が困難な場所だったに違いない。現在は国道229号線がしっかりと通っているが、短いトンネルの連続となっている。訪問した際には心して感謝を込めて走るようにしたい。
同様に驚いたのは、知床半島の羅臼からウトロ間も登山道しか無かったことだ。現在は国道334号線が出来ており、羅臼岳が近くに望める絶景のドライブコースになっている。
約50年前の旅行の記憶はあまり無いのだが、当時「愛国駅」から「幸福駅」までの切符がブームになっていて、この切符を現地で買ったことだけは良く覚えている。帯広から南に延びるこの広尾線は1987年に廃線となった。今度の旅では「旧幸福駅」を再訪してみたいと思う。
帯広から北に延びる士幌線も1987年に廃線となった。
今度の旅で、星野リゾート・リゾナーレトマムに行こうと予定しているのだが、「トマム駅」が地図に無かった。調べてみると、国鉄時代に「石勝高原駅」として現在の「トマム駅」が出来たのは1981年であった。約50年前にはまだ無かったのだ。夕張市もまだ破綻していない時代だった。「シューパロ湖」にはまだ「大夕張ダム」の記載がある。「夕張シューパロダム」の完成により水没したのは2015年と最近だ。
支笏湖の拡大図を見ると、モラップの辺りにキャンプ場があることが記載されているが、現在の「モラップキャンプ場」とは少し場所が違っていたようだ。「美笛キャンプ場」のところには、美笛川とだけ記載されているので、当時はまだキャンプ場は無かったのかもしれない。
同様に洞爺湖の拡大図には、仲洞爺のところにキャンプ場のマークがあり、現在の「仲洞爺キャンプ場」がこの頃からあったようだ。
屈斜路湖の砂湯風呂の写真があった。現在の「RECAMP砂湯」の場所だろう。背景に写っているテントの数がすごい。子供もたくさん写っていて賑わっている。夏休み期間であったこともあるのだろうが、当時は高度経済成長期で日本全体に活気があったのだろう。
これは絵葉書だが、五稜郭自身には変化は無いようだ。しかし、何か違和感を感じて調べてみると、これは1964年に建てられた初代五稜郭タワーで、高さは45mしかない。高さ107mある現在のタワーは2006年の竣工だそうだ。
「白老コタン」も当時はこんな感じだった。
今度の旅行でも是非食べたいと思っている、「長万部かなや」の「かにめし」はこの頃から既に名物だったようだ。
こうしてみると、意識した訳では無いが、今夏のキャンピングカー旅は約50年前の家族旅行と同じようなエリアを廻ることになりそうだ。ただ、ずっと長く旅を出来るので、ゆっくりじっくりと旅したい。